| スレッド | 最終投稿 |
| メーデー、 | 05/09 10:47 go-lvyahoo |
| 林道どうなったかな。 | 04/11 00:35 e2@釧路市民 |
| 冷凍機油 | 10/10 17:54 斉藤 |
| 掲示板を新設しました | 05/23 21:21 ybtworks |
| 大正8年 | 1919年 | 芝義太郎、宗像政蔵「北海炭礦鉄道株式会社」を創設(資本金300万円) |
| 大正9年 | 1920年 | 雄別ー釧路間の鉄道敷設工事及び開坑作業に着手 |
| 大正12年 | 1923年 | 鉄道工事完成。本格的採炭並びに営業開始。礦業所附属、私立雄別尋常小学校設立。 |
| 大正13年 | 1924年 | 三菱鉱業株式会社の経営下に吸収合併され、社名を「雄別炭礦鉄道株式会社」大祥内に「雄別尋常小学校大祥内分教場」を設置。 |
| 昭和2年 | 1927年 | 動力源に電力を導入。炭礦の機械化が急速に進み、出炭量が倍増する。 |
| 昭和8年 | 1933年 | 大祥内でガス爆発。5名死亡、多数のけが人を出す。 |
| 昭和9年 | 1934年 | 大水害に見舞われ、大祥内で炭住5戸流出。 |
| 昭和13年 | 1938年 | 雄別通洞完成。諸設備をここに集約。 |
| 昭和16年 | 1941年 | 出炭量66万トン(従業員2,200人)を記録。戦前の最盛期を生む。太平洋戦争勃発。勤労報国隊の入坑始まる。 |
| 昭和19年 | 1944年 | 政府の命により従業員と設備の一部を九州の三菱系炭礦へ転換。採炭操業中止。 |
| 昭和20年 | 1945年 | 敗戦と共に操業開始。雄別炭礦労働組合結成。 |
| 昭和21年 | 1946年 | 財閥解体により三菱鉱業株式会社から分離独立。 |
| 昭和22年 | 1947年 | 古潭地区に炭住街建設工事開始。 |
| 昭和23年 | 1948年 | 従業員3,000人突破。 |
| 昭和25年 | 1950年 | 朝鮮動乱勃発。特需景気に乗る。 |
| 昭和26年 | 1951年 | 出炭量58万7,000トンを記録。 |
| 昭和27年 | 1952年 | 賃上げ要求による労働組合の63日間スト。 |
| 昭和28年 | 1953年 | 最初の人員整理により、839名が希望退職。 |
| 昭和32年 | 1957年 | 雄別ー釧路間にディーゼルカー運行開始。 |
| 昭和34年 | 1959年 | 経営合理化により、鉄道部門を分離。社名を「雄別炭礦株式会社」と変更。 |
| 昭和35年 | 1960年 | 第二次人員整理により、200名が希望退職。 |
| 昭和36年 | 1961年 | 購買部門を分離、「雄別商事」設立。 |
| 昭和37年 | 1962年 | 石炭政策転換、中央動員始まる。 |
| 昭和38年 | 1963年 | 工作課を分離、「雄別工作所」設立。資材課を分離、「雄別興産」設立。雄別ー釧路間に雄鉄バス運行開始。上茶路礦開発。 |
| 昭和39年 | 1964年 | 出炭量72万6,000トン(開坑以来の最高)を記録。(従業員1,241人、出炭率49.5(t/人・月) |
| 昭和41年 | 1966年 | 山花ー仁々志別間に雄鉄バス運行開始。 |
| 昭和44年 | 1969年 | 4月茂尻礦ガス爆発事故、再建計画により企業分離を行なったが昭和49年9月閉山。 |
| 昭和45年 | 1970年 | 尺別、上茶路と共に企業ぐるみ閉山(2月27日)。雄別鉄道廃止(4月15日) |
| 平成19年 | 2007年 | 雄別炭礦関連遺産が、経済産業省の「近代化産業遺産群33」に認定される。 |