2.雄別の生活:トイレ汲み取り(その1)

汚い話で恐縮です。人間は誰でも排泄します。

雄別炭礦が閉山した昭和45年(西暦1970年)頃は、日本の中で下水道が完備していたのは大都会や都市の中心部ぐらいだったでしょう。まだ日本全体では水洗は少数派だったのでした。
雄別でも水洗なのは職員クラブや職員合宿ぐらいで、社宅はいわゆる「ポットントイレ」で汲み取り式でした。

雄別での汲み取りはどうなっていたのでしょうか。
自分の家のトイレがそろそろ一杯(どの程度が一杯だったのでしょうか)になりそうだと詰所に汲み取り依頼をし、申込書に記入します。職員の住む地域には詰所がないので、会社の庶務課に申し込みます。
雄別には汲み取りの業者がいました。自分でバキュームカーを所有して、各区の詰所を廻り、発注書を回収してバキュームカーで申し込んだ家のトイレを廻りました。会社はその結果で支払っていたのだと思います。

とにかく1万2000名の人口ですから、いろいろな人がいました。余裕をもって申し込む人が大半ですが、トイレが一杯になってから駆け込む人もいました。詰所の係員はベテラン揃いですから、あの家の奥さんならまだ大丈夫とか、あの奥さんなら順番をスキップしてすぐ汲み取るよう指示したりしていました。

この汲み取りをしていたのは清野さんという人でした。会社はこの仕事は絶対に必要な仕事なので、清野さんには社員並みに社宅を提供していました。3区の末広町6丁目の社宅でした。今の雄別の道でい言うと、道道から徹別へ向かう橋を渡らず4区へ向かう左手の広場のようになってるあたりです。

清野さんは愚直なまでに人が良い方で、突然の汲み取り依頼にも嫌な顔をしないで、夜遅くまで仕事をしてくれる人でした。私が清野さんと親しくなったのは、3区の人たちが河原でジンギスカンをやるのに招待されて、清野さんと隣り合わせになってからでした。雄別のジンギスカンは鉄板を使いません。社宅のストーブはブリキの煙突をつなげて外に出すのですが、このブリキの煙突を半分にして半円筒にしてから平らにしたものを火の上に置き、ジンギスカンや野菜を焼きます。3区は各区のなかでも最も戸数が多いので、参加者も奥さん・子供も入れて100人以上参加して圧倒されたことを覚えてます。このエピソードを書くので当時のこの場の写真を見ましたが、宴会の後ろで川で釣をしている姿も写ってますから、ジンギスカンかたがた釣りにも興じていた人がいたのでしょう。

当時私は20代、清野さんは40代ぐらいだったのではないかと思います。
どうしておられるのだろうか・・・・思い出の人です。