当時最先端の発想の雄別炭礦病院

雄別に残る産業遺産の象徴は総合煙突と思います。建物として有名なのは炭礦炭鉱病院でしょう(良くも悪くも)

あの病院は昭和42年はじめに、木造だった病院だったものが火災で焼失して再建されたものです。火災にあった当時、上場していた石炭会社は無配企業が多い中で、雄別炭礦株式会社は太平洋炭礦・松島炭鉱とともに配当していた石炭会社の1社だった(石炭も採掘していた宇部興産は化学メーカーとして分類)。このため病院再建にすぐ着手し、今残るあの建物が建設されたのです。

<時代に先駆けたモデル病院>
再建された病院は斬新な設計で評判を呼んだ。それは当時では珍しかった「バリアフリーの概念」でありました。
1階正面を入ると上のフロアーに上がる螺旋の道が目に入ります。今でも圧巻です。建物のデザインも僅かにカーブしている構造とともに、このバリアフリーの発想の病院はその後建設された他の病院の参考事例となりました。

建物の後ろにも1棟残っているが、それが何だったのかは分かりません。準看養成所の宿泊施設だったかも知れません。さらに坑口真下部分にも小さな建物が残ってます。敷地から考えると病院に付属してたものと思われますが、物入れのような小ささです。

あの病院跡が「霊が出る」などと、そういう面で有名になっていたなんて悲しいことです。