子供たちにとっては何でも遊びの材料

昭和24年頃だと思うが小学校4年生で雄小へ転校し、半年程度で5区曙町の炭住に越したことから、布伏内小学校に転校しました。今から見ると何も無い時代でしたが子供たちにとっては何でも遊びの材料で、冬はスケート(長靴に紐で縛りつける)遊び、夏はシュンクシタカラ川の深いよどみで泳いだり魚釣りと、全てが楽しい思い出です。K君と知茶布へ山女釣りに出掛け、あまりにも釣れるんで時を忘れ、日が暮れて帰ったら街の人たちが捜索に出る準備をして騒がせたのは、忘れることの出来ない思い出のひとつです。

その後、真澄町へ転居したのですが、中学校への通学で古譚駅まで通うのは冬は大変だったことを思い出します。

そうそう、五区の詰所の前を通って会館(だったかな?)へ行く坂の左側法面に小さな貝の化石が沢山露出していたのを覚えてる方はいますか? 雄別は太古は海底だったのでしょう。炭山駅の下手で、今は徹別へ行く道の入り口の沢にも貝化石が産出してます。