雄別炭砿病院の火事

病院が火事になった日時ははっきり覚えていないが、昭和41年から42年の冬だったような気がする。木造の病院から出火し、私は雄別消防団員だったため出動した。火事本番には初めて出くわしたが、病院の事務所よりから放水し、私は筒先を持って直接病院から燃え盛る火を目指して放水した。寒かったことだけは憶えているが、放水のしぶきがなぜか温かい。初めて火事に出会った私は、火事の火のため放水してる水が温まり温かいのだろうと感じていた。

しばらく放水を続けていると、2区詰所の佐藤徳夫係員が近寄り「風呂の水がなくなりそう」と指示を仰ぎにきた。私は「火事の鎮火に必死な時に、風呂の水のことなんか持ち出して」と年下だったにもかかわらず窘めたところ、佐藤係員は「今貴方が放水している水は坑口風呂の水なんです」というではないか。1番方を終了した人が入っている風呂の湯なのだから、放水していて生ぬるいのも当然である。風呂の湯を水源にしたから放水を早くすることが出来たのだった。それにしても入浴していた人は火事とともに突入してきて湯船に消防の籠を入れる消防団員におどろいただろう。その後水源を替え、筒先近くに寄るとしぶきを受けたが、そのあまりの冷たさに体の芯まで氷づいた。

当時の雄別炭砿株式会社は石炭業界では元気な会社だったせいか、すぐ病院再建に動き、今のあの病院が建設された。