敗戦直後の雄別

<管理人注釈> ※投稿された方から、趣旨に合わないので記さないほうが良い旨のお話がありましたが、当時の雄別の状況を知る貴重な内容ですので、あえて記させて頂きました。お許し下さい。※別な雄別出身の方から、雄別炭砿病院のとなりにあった隔離病舎は、赤痢が流行っていたために建てられたと聞きました。

ふりだしの阿寒近くの生地の雄別炭山に戻る。ここにも、ぽつぽつと社員たちが戦地から戻ってきた。昔なじみの人たちは「よかったですね、たいへんでしたね」とお互いの無事を大そうによろこびあった。だれにも敗戦の無念さはなかった。戦争は勝つか負けるかでない。生きられるかどうかだけである。

禿山があちこちにあり、よく物凄い山火事が起こった。雨が降ると川には恐ろしい濁流が流れた。治山治水に手がまわらなかったのだ。衣服はぼろぼろに穴があき汚れこじき同然であった。栄養失調はふつうであった。その様は辛くて書けない。今日、最貧国の人々を TV で見ていてその血色のよさと衣服の立派さに「それで貧しいのか?」と妙に安心したりすることがある。救われるのは人心に荒れがなかったことである。

小学校へ入る。だれか女の先生が「これからは民主主義なのです・・・」と細い声で講演していた。このころ、赤痢が流行り多数の死者がでたという。衛生にも手が回らなく町中甚だしく不潔であった。その前におれたちは別の炭砿(尺別)に移っていた。こうして今おれが平安でいられるのは相当の強運があったのであろう。