炭礦用語


※この用語集は、雄別炭礦の発破係員であった阿寒町在住のM氏のご協力を頂きました。


炭礦:昔使用されていた文字、石炭は金属ではなく石である。

炭砿:炭礦の略字。炭砿と書いて「やま」と呼ぶ事もある。

炭鉱:現在使用されている文字。


炭(すみ):石炭。石炭の事を、単に「すみ」と呼ぶ事が多々ある。

鉱滓:石炭以外のくず。北海道弁では「ずり」、九州弁では「ぼた」と言う。

つるはし:坑内で使用するつるはしは、片方が尖り、片方は金槌。

カッチャ:石炭やズリをかき集める、三角形の鍬のような道具。九州弁では「ミ」と言い、長方形である。

コール・ピック:圧縮エアーで作動するハンマー。炭砿ではガスがある為、殆どの機械は圧縮空気が動力となってる。炭砿で開発され、一般社会に広まった代表的な機材。


採炭:石炭を採掘。

掘進:坑道(トンネル)を掘る。採炭現場の準備段階。

仕繰(しくり):坑道の保守。

直接坑内員:採炭・掘進・仕繰が「直接坑内員」

間接坑内員:直接以外の坑内職種が「間接坑内員」

選炭:採掘したものを、石炭とズリに選別する。水を使い洗う事から「洗炭」とも書く。


入気抗道・坑口:空気の入り口になっている坑道。

排気坑道・坑口:空気の排出坑道で、扇風機により空気を排出している。

通洞:主要な大通り坑道。

風洞:一般的には主要排気坑道。

沿層坑道:地層に沿う、炭層に沿う坑道。

立入坑道:地層に沿わず地層を突き破る方向の水平坑道。

昇(のぼり):上に登る坑道。(北進昇)

卸(おろし):下に下る坑道。(堤沢一段卸)

切羽(きりは):掘削・採炭の最先端現場。

払(はらい):採炭現場の切羽の事。

引立(ひったて):掘進現場の切羽の事。

古戸(ふると):採炭が進行した後ろ。切羽の反対側。

出途(でど):掘進切羽の反対で、切羽への入り口。

肩(かた):傾斜した炭層の上方。

深(ふけ):傾斜した炭層の下方。

どべら:坑道の側壁。

ゲート坑道:上沿い坑道。主要坑道は平行して2本坑道を掘削。下途坑道と書くがこれは当て字。

目抜坑道(めぬき坑道):本坑道とゲート坑道を繋ぐ坑道。

巻立(まきたて):斜坑で炭車をロープで引張って運搬。傾斜部から水平部に移行する場所で、巻立で切り離す。

 

 

巻座:斜坑運搬のロープの巻揚機械のある場所。

ポンプ座:主要ポンプの設置場所。

ボーリング座:ボーリングマシーンで穴を掘り、炭層の中のガスを抜き取る場所。堤沢地区(雄別炭礦の最深部)はガスが多く、ガス抜きボーリングを実施して、ブローにてガスを吸い出して、坑外に放出していました。※雄別炭礦ではボーリング座という呼び方はあまりされていなかったようです。

ボーリング座

↑夕張の石炭博物館で撮影。ボーリングマシーンは、雄別で使われていたものと同じものです。

 

 

先山(さきやま):リーダ格の砿員、先頭に立って作業をする。

後山(あとやま):先山の部下、先山の後ろで作業をする。

ヤンバン:朝鮮語で特別な人、貴族を意味する。炭砿では係員を意味する。

竿取(さおとり):斜坑運搬の操車員。

バッタ:炭車の脱線。2輪脱線→片バッタ、4輪脱線→四つバッタ。

ニトロ:実車。荷物を積んだトロッコ。

発破屋:発破係員。

 

救助(救助隊):その時のその現場の坑内員が救助隊になります。

救護(救護隊):特別な訓練、特別な装備を備えて、救護にあたります。ガス爆発・炭塵爆発・坑内火災など。救護隊員は、坑内系の係員で構成されています。



保護炭柱:潰れては困る重要な坑道を保護する目的で、坑道に接近した位置の石炭を掘らない。保護炭柱の幅は、保護期間・地表からの深度により異なります。
  深坑道〜ゲート坑道間は、15〜25m程度
  主要坑道の保護は、30〜50m程度
  採掘跡へ別ルートから近づく場合は、200m程度
※地表から浅い現場は、保護炭柱を残さず木積により保護する場合もあります。
  木積(コズミ):坑木を「井」字状に組み上げます
  空木積(カラコズミ・カラコ):坑木だけ
  実木積(ミコズミ):中にズリを入れます

 


鉄砲:発破にて発破孔が破壊されず失敗する事。火薬の装填量が、少なくても、多くても鉄砲となり失敗します。また鉄砲の事を「熊を捕る」「熊を撃つ」とも言います。

ガニ発破:張り付け発破。火薬装填孔を作らず、火薬を張り付けて発破。禁止されている。

あんこ:火薬装填後、発破孔を塞ぐ棒状の粘土。戦後は、ビニールに詰めた砂「砂棒」、水の入った「水棒」に代わったが、砂棒を「あんこ」という言う人もいる。

「砂棒」を作る工場

↑「砂棒」を作る工場内部の写真です。


 「坑内で口笛を吹くと落盤が起きる」と言う迷信があり、坑内での口笛は厳禁。坑内の合図は笛による物が多く、「笛と間違わないように」が本当。

 

友子:戦前の炭礦には「友子」という炭礦特有の制度がありました。友子の目的は大きく2つあり、互助制度と後輩への技術伝達です。友子の関係は「親分・兄分・子分」の関係で、3人一組が集まった連合組織で、友子の結束は硬く密接な関係でした。戦後、労働組合の誕生により友子制度は消滅いたしました。

↓友子免状


*江戸時代の炭砿

 北海道で一番古い炭砿は、阿寒町の隣「白糠炭砿」である。

 殆どの炭砿が内陸に位置するが、白糠は海上から石炭の路頭が安易に発見されたのであろう。白糠の石炭岬の名前がその名残。

 寛政(1790年頃)で、本格的な開発は安政2年(1855年)函館開港に伴い外国汽船に燃料補給目的で、安政5年(1858年)に白糠炭砿を幕府直営の炭砿とした。

*明治時代の炭砿

 明治時代の炭砿は「タヌキ掘り」

 明治時代の炭砿は個人所有の炭砿で、路頭からタヌキの穴のように、ツルハシで掘削していました。支柱方法は「坊主」「トンボ」と呼ばれる方法で、坑木を支柱として立てるだけの粗末なもので、崩れそうになるとその穴は捨て、次のタヌキの穴を掘ります。

*大正時代

 明治時代個人所有だった炭砿は、次第に統合・合併し、会社組織となって行きます。雄別も、大正13年三菱の支配下に入りました。


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