yuubetsu一覧

1区本町社宅

水道は屋外に3ヵ所共同で使用。各ヵ所の水道栓の開閉用かぎ(三角穴レバー)を冬凍結防止の為、毎日当番で夜に外し、朝に取り付けた。寒さが厳しくてシバレル(凍結)すると、熱湯をかけて解凍したね。

雄別の生活:たばこ屋

大野たばこ屋という名前だったと思います。看板娘が座ってました。当時20代だった私から見て相当な高齢で、現役の看板娘ではなく元看板娘で、正確にいうと看板婆でした。当時の阿寒町長の母親という話でした(ちょっと自信ない)今思うと70代でしょうか80代でしょうか。

上長屋取り壊し

採炭現場の機械化に伴い、坑外に整備工場が出来るため、10棟の本町上長屋の取り壊しが決まり、布伏内社宅移住後に引越し先(勤務年数・家族数によって部屋構成6.6 6.8等)を選ぶ事ができた。

セメント・砂・砂利

1952年の高2の夏休み、荒組(横山地区の現在の雄別記念碑の辺りにあった)のアルバイトで、朝6時から昼飯交代で夕方6時頃まで12時間、セメント・砂・砂利の運搬を土木科Y君と二人で頑張りました。

坑内での時間外作業

間接夫、特に電気の新設作業等では、布設したケーブルとマインパワー(防爆形乾式変圧器:1次側3300V、2次側400V・200V、操作用50V)に採炭機械との接続、電動機の回転方向の確認が2時間位の残業、採炭終了後の電気機材撤収作業等は休日出勤で行ないました。

16.坑内浴場

坑内浴場は通りに面した、中に鉄パイプ製が付いた階段を上がると、左側が裏(坑口側)からも出入りできました。浴槽は周りが洗い湯、中側似1段高い上がり湯で4箇所から出入りできました

15.炭務課分析

分析室の総合ボイラー側に地室下があって、薬品を保管していました。1階で灰分測定の為に試料を燃焼させる電気炉、揮発分専用の小型電気炉、硫黄分検出測定等、化学検査を行なっていました。

13.ズリ山の裏道

1940年頃、「蛇沼の沢」の林道にトラックが出入りして、総合ボイラーの燃料として昔のズリを運んでました。雄別中学校の所にもあったズリ山も運んで焚きました。

12.豆炭・練炭工場

機械化で細粉化された石炭が、選炭排水と一緒に流出し、途中で沈殿していました。灰分が少なくてカロリーも高かった。僅かでしたが、標茶町磯分内の製糖工場に積出していました。