エピソード集一覧

布伏内の冬

布伏内の冬は寒く、秋の終わりに窓の外にビニールを張ったものです。ところが、室内を石炭で暖かくするもので、ビニールと窓ガラスの間に結露し、氷状態になっておりました。春になるとこのビニールは剥がしました。

礦業所長骨折す

雄別炭礦の正式名称は、雄別炭礦株式会社雄別礦業所です。ですから最高責任者は「礦業所長」となります。雄別炭礦は主力炭礦ですから礦業所長は取締役でした。

雄別での思い出は「車が転落」

昭和42年だったと思います。夏の土曜日に若者だけで阿寒湖にキャンプに行こうと計画しました。はっきりとは思い出せませんが男6人、女2人に加えて現地集合として釧路営業所から男1人、女4~5人です。最高年齢が26歳か27歳で、年少は18歳でしょうか。

雄別の思い出(野生動物編)

熊のあとはエゾシカを食べました。今は阿寒町の特産でエゾシカバーガーが有名になりましたが、熊よりも美味しかったことを憶えています。ヨーロッパではその昔、鹿は貴族の食べ物と言われたものですから、なるほどと感じました。

独身寮の食事

寮といえば1ヵ月の食事代が給料から天引きされていたのですが、初任給2万数千円の時代に食事代は3千円か2千円ぐらいだったと思います。おじさんとおばさん御夫婦とお手伝いの2人のお嬢さんで食事・掃除などの管理をされていました

雄別でのボーイスカウト(その1)

今は釧路市と合併してしまいましたが、雄別炭礦の所在地は阿寒町でした。阿寒町の人口の60%が雄別炭礦関係者でしたから、それぞれの区というか町内にいろいろな団体があることは皆様のお住まいになっている所と変わりありませんでした。

山神祭りと運動会裏話

雄別炭礦の規模だと、社員の福利厚生の一環でさまざまな行事がある。最大のものは山神祭で、6つの区が輪番で担当する。相当以前は「みこし」はかついだそうだが、私がいたときは「みこし」はトラックに積まれて練り歩く中心にいました。

雄別でのアルコール事情

雄別商事の売店で販売していた日本酒は種類が少なく「北の誉」と「福司」だけだったような記憶があります。当時は今のような純米・吟醸といった区分ではなく、特級・一級・二級という区分でした。もちろん購入していたのは二級でしたよ。

当時の若者は・・・

当時はどの会社も週休1日でした。営業や官庁は土用半ドンでしたが、工場や「炭砿」は土曜日も通常どうりでした。連休になるのは年に2回。そうです、年末年始とお盆でした。

1区本町社宅

水道は屋外に3ヵ所共同で使用。各ヵ所の水道栓の開閉用かぎ(三角穴レバー)を冬凍結防止の為、毎日当番で夜に外し、朝に取り付けた。寒さが厳しくてシバレル(凍結)すると、熱湯をかけて解凍したね。