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あかん2005年5月号

雄別炭礦には、形に残る炭礦遺産は数少ない。阿寒町雄別に「雄別炭礦」と称する大手炭砿があった事実が「炭礦遺産」である。 雄別炭礦は、他の炭砿閉山との相違は、体力を残した閉山で、真面目な念入りな跡始末、閉山後35年の経過が物語る。

炭砿住宅(炭住)について

世間一般の社宅は「福利厚生」の性格ですが、石炭企業や鉱山会社の社宅は福利厚生以外の性格を持っております(もともと同一の会社だったものが、戦後に石炭とそれ以外の会社に分割された会社が多く、三菱や住友など財閥解体により分離したものです)。

雄別炭礦の閉山の真相

雄別炭礦は昭和45年(1970年)2月28日に閉山した。 この閉山事情は今もって語られることは少ない。通常企業がなくなる場合、その多くは経営がなりたたなく「倒産」することが多い。いろいろな本にも倒産により閉山と書かれているものがみられる。

雄別礦業所の思い出

当時雄別礦業所には約1,200人の従業員が勤務しており、その家族及び関連会社・協力会社を含めると、雄別・布伏内地区で約12,000人が住む一大生活圏を形成しておりました。

雄別にはズリ山がない

坑内から搬出されるものは、石炭とともに岩石や土砂である。選炭場で製品になる石炭はホッパーに収められ、製品にならない石炭や岩石土砂は捨てられる。この捨て場がどんどん膨れ上がり山になる。これがズリ山である。九州ではズリと呼ばないでボタというのでボタ山と呼ぶ。