閉山一覧

杉山技術副長時代

閉山後の雄別炭山駅周辺。まだこんなに建物が残っていました。閉山後の雄別炭山駅前から山の手の方向。舗装道路の幅員は広かったことがわかります。(昭和47年撮影)

書類編その1

テレックス文書の画像をテキストに書き起こしたものです。 雄-釧6    T電算ギ 39      44−7−8.11:20 釧営ケイサンシツゴイチ同サマ       雄ベツ (発信者名) IE テウサシユウケイニ ツイテ

あかん2005年5月号

雄別炭礦には、形に残る炭礦遺産は数少ない。阿寒町雄別に「雄別炭礦」と称する大手炭砿があった事実が「炭礦遺産」である。 雄別炭礦は、他の炭砿閉山との相違は、体力を残した閉山で、真面目な念入りな跡始末、閉山後35年の経過が物語る。

雄別炭礦の閉山の真相

雄別炭礦は昭和45年(1970年)2月28日に閉山した。 この閉山事情は今もって語られることは少ない。通常企業がなくなる場合、その多くは経営がなりたたなく「倒産」することが多い。いろいろな本にも倒産により閉山と書かれているものがみられる。

雄別礦業所の思い出

当時雄別礦業所には約1,200人の従業員が勤務しており、その家族及び関連会社・協力会社を含めると、雄別・布伏内地区で約12,000人が住む一大生活圏を形成しておりました。